陶芸と、星占い、タロットカードを、職業にしています。体験をもとにした、心、魂の世界についてのエッセイです。


by fufu6k
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隠されたもの Ⅰ

                      占いのホームページ SPACE・和


 
 オカルトという言葉を百科事典で調べると、「隠されたもの」という意味のラテン語の言葉が語源であると書いてある。事典によると、オカルトとは、「隠されたもの。目で見たり、手で触れて感じたりすることのできないもの」である。

 オカルトという言葉はまた、何か怪しげなもの、邪道と思われることを非難する時、しばしば使われた。
 常識に反する、新しい理論や、異端の宗教などを攻撃する時、オカルトという言葉を非難のレッテルのように使ったのである。そのためか、オカルトという言葉には、暗いイメージがつきまとう。不気味な心霊現象を扱った映画を、オカルト映画と言うが、この手の怖い映画も、オカルトという言葉のイメージダウンにひと役買っている。
 
 手で触れたり、目で見たりして、存在を確かめることができるのは、物体である。この世の現実は、物質、物体で構成されているから、すべて目で見、手で触って確認できる。
 しかし、オカルトという言葉が大昔から存在することでもわかるように、現実というのは、物質、物体だけて構成されているのではない。物質、物体ではないもので構成されている、もうひとつの世界がある。よく考えれば、心というものも、肉眼で見たり、体で触れたりすることのできないものである。長い人生の、すべての喜びと苦しみの源である、心というものは、隠されたもうひとつの世界、オカルトの世界に属しているとも言えるだろう。
 
 勉強部屋で父の魂を見てから、私は、目に見える現実がすべてではないと思うようになっていった。テーブルクロスをめくると、テーブルの板が現われるように、私達が普通に認識している現実というものの下に、本当の、本物の、“真実”が隠れているのだと思い込むようになった。
 目に見える現実とは、テーブルクロスのように薄っぺらいもので、その下に存在するもうひとつの世界こそ、はかり知れないスケールと重みを持ったもののように思えた。
 
 二十歳前の夢見がちな頭で、私はいろいろな想像をめぐらした。
 仮に自分の部屋から屋根を突き抜け、どんどん上へ昇っていったらどうなるだろう。まずはこの家の屋根が見え、それからこの町の密集した家々の屋根や道路を俯瞰し、さらに東京都を眼下に眺め、さらに上昇して日本列島や中国大陸や太平洋を見、どんどん昇って雲を突き抜け、ついに地球の外に出る。
 私は遥か下の青い地球を眺めながら、漆黒の宇宙空間に漂っている。そうなったら、物質で構成されている現実の下に隠れている、もうひとつの世界、揺るぎない真実を、あますところなく理解できるだろう……!
 
 そうなりたいと思った次の瞬間、これは死ぬことだと気付いた。広大な宇宙空間に漂うのは、私の肉体ではなく、魂なのだ。隠された、揺るぎない真実の世界を、あますところなくわかった時、私は仏になっている、と。
 
 宇宙空間に、奈良の大仏より大きい、巨大な仏様が浮かんでいる様を想像したこともある。菩薩だか、如来だかわからないが、とにかく仏像の姿をしたその仏様は、両性具有で、なんと男女の性器をそなえているのだ。
体の中に春の芽吹きのようなむらむらしたものを感じ、多分に色気づいていた当時の私は、その仏様が男性でも女性でもない、中性の存在と考えるのが、つまらなかったのである。中性の存在から、生命は生まれない。両性具有の巨大な仏は、自分で子作りのための営みをし、歓喜に浸りながら、ダイナミックに、おおらかに、新しい命を次々に誕生させるのだ。
 
目に見える現実の下に隠れている世界について、もっと知りたいと思ったが、どうしていいかわからなかった。真理の探究をするには、哲学か宗教に関する本を読むのがいいだろうとは思ったが、何故か手が出なかった。そういう種類の本は、文章が難解で、眠くなるのがオチだろうと思ったし、私は隠された世界について、知識を深めたり、論理的に理解したりしたいのではなかった。父の魂を見た時のように、その存在を理性だけではなく、感覚で納得したかったのだ。

隠された世界を、真に理解することができたら、もう死んでもいい……。本気で死んでもいいと思ったわけではないが、隠された世界を理解することは、私の人生の究極の目的のように思えた。
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by fufu6k | 2009-02-25 14:58