陶芸と、星占い、タロットカードを、職業にしています。体験をもとにした、心、魂の世界についてのエッセイです。


by fufu6k
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隠されたもの Ⅱ

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 20代半ば頃まで、私の頭の片隅には、常に、このような思いがこびりついていた。23、4歳の時に知り合った恋人が、老子、荘子といった東洋の思想家について造詣があり、彼の話を聞いているうちに、こういった東洋の哲学書を読みたくなった。
 
 このテの書物はやはり難解で、私の知力が不足していることもあり、言葉の迷路に迷いこんでゆくような、自分が本当に知りたいことから、少しずつ遠ざかってゆくような感じがあったが、ただ一行、強烈に目に飛び込んできた文章があった。

『死生は一条』
 それは荘子が書き残した言葉だった。
 
 一条とは、ひとすじという意味だ。死生はひとすじ。死と生は、一本の線として、連なっているもの……。
 私は目をまるくして、本の活字をまじまじとみつめた。勉強部屋の空間に、一本の線という形で現われた父の魂は、まさにこの言葉通りだったからだ。真ん中に生と死を分ける区切り目を持つ、一本の線。生の領域から死の領域へと、変わることなく続く父の魂。死と生は一条であると、父の魂は語っていた。
 
 高名な思想家の言葉と、自分が見た光景が一致していることで、私は、死んでも人間の魂は存在し続けるという自分の考えに、いよいよ確信を持った。「私は、正しかったのだ!」心の中でそう叫んでいた。
 
 荘子をきちんと理解していたわけではないが、人生をひとつの夢としてとらえているのが、荘子の思想なのではないかと、私は思った。生まれてから死ぬまでの何十年という人生は、長い長い夢の時間なのだ。私達は日々、さまざまな出来事にぶつかり、目をしっかり開けて現実と格闘しているつもりだが、実はそれは夢の中の出来事なのだ。では、いつ夢から醒めるのか。死んであの世に行った時、人は長い夢から醒め、本来の自分に戻るのだ。
 ?……!
 
 頭の中に大きな疑問符を浮かべながら、一方でこの考え方に奇妙な親しみを感じた。目に見える現実がすべてではない、その下に隠れている世界が、本来の世界。私のこの考えと、人生を夢とする荘子の考えには、通じるものがあるように思えた。
 
 仏教にも、これに似た考え方がある。来世を信じ、現世を仮の世とする考え方だ。現実は常に移り変わり、不確かで不安定なものだ。出会いがあれば、必ず別れがあり、幸福は長続きせず、肉体は老いて、死に至る。あの世にこそ、永遠の平安があると考えるのだ。
 
 シェークスピアも似たようなことを言っている。シェークスピアは、人生は劇場だと言う。人はそれぞれ、人生という舞台で“自分”という役を演じ、そして去っていくのだ。死を迎えて、舞台を下り、“役”ではない本来の自分に返るということなのだろう。
 
 隠されたもうひとつの世界から、私達はやって来て、“夢を見る”にしろ、“役を演じる”にしろ、物質という不確かなものに囲まれた“仮の世”で、何十年かの人生を送り、そして、もとの世界に帰っていく……。

 
 
 20代後半にさしかかる頃から、どういうわけか、私はこういうことをあまり考えなくなっていった。理由はまったくわからないが、真理を確かめたいという欲求はどんどん薄れ、父の魂を見たことすら、記憶のかなたに遠ざかっていった。
 
 恋人と一緒に暮らすようになったことで、生活が大きく変わったからかもしれない。母を裏切り、家を出、彼のもとに走り、その後母が急死し……と、激烈な出来事が続いたからかもしれない。

 人生は“夢”と呼ぶにはあまりにも強烈であり、自身が招いたこととはいえ、現実は過酷だった。自分の思いを、無理やりにでも貫き、幸福を手にしたが、代償も大きかった。
 
 私は“目に見える現実の世界”に没頭した。彼との愛に酔い痴れ、彼を失うことを恐れ、自分がきれいで色っぽいかどうかが、常に気になり、洋服やバッグをたくさん欲しがり、仕事や才能に関してコンプレックスを抱き、その他さまざまな欲望を募らせた。
 e0172753_23181060.jpg“隠された、もうひとつの世界”は、私の脳裏からどんどん消えていった。
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by fufu6k | 2009-02-27 02:28