陶芸と、星占い、タロットカードを、職業にしています。体験をもとにした、心、魂の世界についてのエッセイです。


by fufu6k
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

砂漠の像 Ⅰ

                       占いのホームページ SPACE・和 



 ナイル河を、ゆっくりと帆船が行き交う。遠くのモスクから、朝の祈りの声が聞こえてくる。河の上にかかる靄を、太陽が金色に染め、モスクの丸い屋根も輝き始める。

 ホテルの部屋のベランダから、私はルクソールの朝の風景をうっとりと眺めていた。エジプトは、幻想的な国だった。

 砂漠に点在する、ピラミッドや巨大な神殿。紀元前千数百年の風景が、二十世紀の風景にミスマッチに入り混じっている。首都のカイロは、ビルが並び、車がひしめき、市場は活気に溢れ、喧騒に包まれているが、カイロを出れば、そこはもう砂漠で、遠くにクフ王のピラミッドが見え、とたんに紀元前の時代の匂いが漂ってくる。

 数千年前のファラオの時代が残したものは、あまりにも強烈なので、私達は現代を生きているはずなのに、いつのまにか意識がはるか古代へと引き戻されてしまう。
 現代という時間軸と、紀元前のファラオの時代の時間軸と、ふたつの時間軸を持つ国。あまたの墓と遺跡を抱え、死の匂いを漂わせ、ファラオの呪縛から逃れることができないでいる国。一週間の旅のあいだに、私はこのような感想をこの国に対して持ち、もやもやと違和感や不思議さを感じ続けていた。

 エジプトへ行こうと思い立った時は、何をしにエジプトへ行くのかという、はっきりした目的はなかったが、カイロ空港に降り立った時の私には、ひとつの目的があった。それは、可能な限り、アクナトンの足跡を辿ることだった。

 英語が苦手で、海外の女の一人旅にはまるで自信がなかったので、私はツアー旅行に一人で参加することにした。グループ旅行なので、スケジュールが全て決まっており、どれだけアクナトンの跡に触れることができるかわからなかったが、カイロ博物館は旅程に入っており、そこでアマルナ時代の美術品を見ることができると、ひそかに胸を躍らせていた。

 カイロ博物館の陳列品をていねいに見ようと思ったら、一日では足りないだろう。興味を惹かれるものはさまざまあったが、時間に限りがあるので、あのツタンカーメンの黄金の副葬品やマスクすら、ちらっと眺めただけで、私はまっすぐアマルナ時代のコーナーに向かった。

 展示室の入り口を入ると、まず目に飛び込んできたのは、高さが4メートルくらいはありそうな、アクナトンの石像だった。それは本に載っている写真の像と同じもので、何度も目にしていたが、実物は写真よりもずっと異様に見えた。
 
 長すぎる顔、ややつりあがった、大きな切れ長の目、細くとがった顎、はれあがったように見えるほどの、分厚い唇。上半身はほっそりしているが、腰から下は太く、腿が異様にふくらんでいる。人間の体の均衡を、限界まで崩したような作品。美を追求するというよりは、どこまでアンバランスなものを作れるかと、ただそのことだけに熱意を注いだような彫像だ。

 この極端なデフォルメが、アマルナ芸術というものなのか。それともアクナトンの体は、奇形だったのだろうか。疑問符が頭の中に点滅する。

 太陽を崇拝しているファラオ一家の絵も、皆、頭部が異様に細長い。あまり美しくないなと、少しがっかりしながら見て回るうち、やっと文句なく美しいと言える像に出会った。それは王妃ネフェルティティの、色鮮やかな頭部の像だった。

 顔料で彩色された木像で、絵の具がほとんどそのまま残っている。端正な顔立ちで、このまま現代に持ってきても、女優にでもなれそうなくらいの美人だ。この像は、デフォルメではなく、写実の手法で作られている。
 くっきりとした眉と、気の強そうな、大きな眼。高い鼻。きりっと引き結んだ唇には、意志の強さが感じられる。
 
 夢や理想を追い求め、とかく現実離れしがちな夫のかたわらで、この王妃は国を統治するための、さまざまな仕事を一手に引き受け、時には策を弄し、時には権力をふるい、日々、現実と格闘していたのではないだろうか。そんな想像をかきたてるような顔だ。

 この王妃は、アクナトンが何を願い、何を望み、どういう心を持って生きていたのか、本当に理解していただろうか。ふと、反感にも似た思いが、胸をよぎった。この王と王妃は、性格も人格もまったく違う、相通ずるものがとても少ない夫婦だったのではないだろうか。
 美しいネフェルティティの像からは、強さは感じられても、女性の柔らかさや包容力は、まるで感じられなかった。アクナトンは孤独ではなかったか……。そんな思いが、じわじわと心の底に広がっていた。

 アマルナ時代の物は、後代のファラオによって壊されたり、捨てられたりしたのか、あまりたくさんは残っていない。陳列品の少なさにも少し失望しながら、展示室を出ようとした時、ふと目にとまったものがあった。

 高さ20センチくらいの、小さな石の像。柔らかい石で出来ているらしく、像といっても、目も鼻も顔の輪郭も、体の線も、磨り減って定かではない。説明書きを見ないと、これが何なのか、よくわからない。
 説明書きには、“娘を抱くアクナトン”と書いてあった。
 
 なるほど、幼い我が子を膝に抱いている姿に見える。顔を俯けて、娘の顔をのぞきこむようにしている。我が子がいとしくて、いとしくて、たまらないといった風情が、丸みを帯びた肩のあたりに感じられる。

 と……、突然、涙がこみ上げてきた。涙で視界がかすみ、白くぼやけた石像をみつめながら、なんと優しく、なんと温かい姿だろうと思った。娘に対する、このファラオの愛の深さに感動していた。
 デフォルメされた彫像は、何も伝えなかったが、この磨耗した小さな石像は、アクナトンの生の心を伝えていた。e0172753_14413532.gif



 
 
[PR]
by fufu6k | 2009-03-04 23:52