陶芸と、星占い、タロットカードを、職業にしています。体験をもとにした、心、魂の世界についてのエッセイです。


by fufu6k
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エジプト

                     占いのホームページ SPACE・和



 27~8歳の頃だと思う。同棲していた恋人が、仕事がらみの旅行でエジプトに行った。私達は、アメリカ、シンガポール、ハワイ、グアム、サイパン……と、いろいろな所へ行ったが、この時の旅は仕事が中心なので、私はついて行くことができなかった。それに、エジプトには何の興味もなかった。

 ピラミッドとスフィンクスとミイラの国。熱く、埃っぽく、古代の墓がたくさんあって、どこか死の匂いが漂う国。エジプトには、そういう印象しかなかった。

 彼は、アラバスターで作ったエジプトの神様の人形や、パピルスに描かれた絵や、刺繍のしてあるブラウスなど、いろいろなみやげ物とともに、満足げな顔で帰ってきた。その時、彼が何を話したかは覚えていないが、とにかくエジプトをとても面白いと言っていた。

 彼の旅行は一週間ほどだったが、彼が不在の間に思ったのか、彼から旅の話を聞いて思ったのか、さだかではないが、私は、突然、自分もエジプトへ行こうと思い立った。
 彼の話に大きな影響を受けたというわけではない。これをしたい、これを見たいという、明確な目的を持ったのでもない。よくわからないが、突如として、エジプトへ行くんだと決め、その日からエジプトに関する本を読みあさり、古代の歴史についての知識を頭に詰め込み、旅行の手続きをし、一ヶ月後には機上の人となっていた。

 エジプトへ行くに当たって、どうしてむさぼるように古代エジプト史の勉強をしたのか、わからない。歴史の知識があるとないとでは、旅の楽しさや充実の度合いが大きく違ってくる。だから本を読みあさったのだが、それにしても私は、試験勉強でもするかのように、真剣に知識を頭に叩き込もうとしていた。

 本を読み進むうちに、一人のファラオに強く興味を抱いた。黄金のマスクが日本にも来たことのある、あのツタンカーメンの父で、アクナトンという王だ。

 アクナトン(イクナテンとも言う)は、宗教改革と遷都を実行し、芸術に新しい様式を取り入れ、武力によって国を守るのではなく、平和主義を貫こうとした、異色のファラオだ。
 古代エジプトは、多神教だが、アクナトンはそれを改めて、太陽を崇拝する一神教を、国の宗教のありかたとした。それとともに、首都をテル・エル・アマルナに移し、宮殿や神殿の建築、装飾に、新しい芸術様式を取り入れ、芸術の振興に力を注いだ。都がアマルナにあったので、アクナトンの時代の芸術を、アマルナ芸術と呼ぶ。
 
 物質的繁栄よりも、精神性を大切にする、この理想に燃えたファラオは、しかし王として、政治家としての現実的な手腕には欠けていたようだ。強引な宗教改革や遷都をしたため、職や既得権益を失った者が多数現われ、多くの人々の反感を買い、わずか20年足らずで、その統治は終わってしまう。
 宗教と政治をもとの姿に戻そうとする人々によって、国は運営され、アクナトンの子である、まだ幼いツタンカーメンが、飾り物の王として玉座に座るのだ。

 古代エジプトでは、象形文字が使われており、ファラオの名を記した象形文字をカルトゥーシュと呼ぶが、アクナトンのカルトゥーシュはことごとく削り取られている。この王を憎み、排斥した人々は、神殿や墓の壁に、アクナトンの名前が少しでも残ることすら、許せなかったのだろう。
 削られたカルトゥーシュの跡は、渦巻く憎悪と熾烈な権力闘争を物語っているようだ。王座を追われたアクナトンは、まもなく病気か何かで亡くなり、子のツタンカーメンも、若くしてこの世を去る。

 アマルナ時代の彫刻や壁画は、人物の頭が異様に長かったり、腰や太腿が不自然に肥大していたりと、デフォルメされているように見える。それ以前、またはそれ以後のレリーフや彫像と比べると、非常に個性的である。そのためにアマルナ芸術と呼ばれるのだが、これは美術の手法としてのデフォルメではなく、アクナトンの体に病的な異常があったからだという説もある。

 アクナトンが病弱だったかどうかはわからないが、少なくともこのファラオは、とても繊細な神経の持ち主ではないかと、私は思った。
 
 頭脳明晰で思索的で、純粋な心の持ち主。友達と外を走り回る、スポーツ少年ではなく、木陰で本を読むのが好きな、内気な少年。その内気さは大人になっても変わらず、優しさも情熱も人一倍持っているのだけれど、自己表現があまりうまくない。
 
 e0172753_0585233.gif純粋な心は成人しても曇ることがなく、純粋ゆえに高い理想を求め、理想の実現に、熱狂的なまでに力を注ぐ。あまりに熱を入れるので、まわりの人々の気持ちが見えなくなり、自分が成そうとしていることが、或る人々を窮地に陥れることになるということに気がつかない。というより、金や物や権力にしがみつく人間は嫌いなので、そういう人々の身の上を思いやることがない。

 デフォルメされたファラオのレリーフの写真を眺めながら、アクナトンという人物について、私は勝手に想像をめぐらせていた。僅かの間、地上に存在したアマルナの都が、一輪の白い花のように、優しく美しい都市であったように思えた。アクナトンの人柄と理想を反映した、それは清らかさを感じさせる街であったに違いない。
 いつのまにか、私はアクナトンとアマルナの都を、好きになっていた。
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by fufu6k | 2009-03-01 14:07

前世について

                     占いのホームページ SPACE・和



 昨今のスピリチュアル・ブームのおかげで、魂は永遠であること、人は何度も生まれ変わることを、信じている人は多いだろう。
 
 人間は、みずからの魂をより良いものにするために、突きつめて言えば、愛というものを学ぶために、時代を変え、場所を変えて、何度もこの地上の生を経験する。人類の平均値として、いったい何回ぐらい生まれ変わるのか、知りたいような気もするが、確実な値を言える人は、おそらくいないだろう。相当数の地上の生を、それぞれの人が経験するのだろうと思う。
 
 今でこそ、前世や生まれ変わりについての話を、気楽にできるようになったが、私が10代、20代を過ごした頃は、世の中に、今のようなスピリチュアルな風潮はなかった。その当時、世の中の中心となって、時代を作っていた世代、我々の親の世代は、ほとんどの人が無神論で、現実的で、死後の世界を否定する考えを持っていたように思う。どうして彼らが、現実重視に傾いたかと考えると、そこには戦争と敗戦が関係しているように思われる。
 
 私達の親の世代は、感受性の豊かな若い時代に、戦争の悲惨さと敗戦がもたらした貧しさを経験している。私は母から、東京が空襲に遭ったあとの話や、着物を農家に持っていって、お米に変えてもらったりと、食料がなくて苦労した話など、いろいろ聞いているが、もし自分がそういう体験をしたらと考えると、身の毛がよだつ。
 
 頭上を敵の飛行機が飛び交い、爆弾が雨あられと落とされ、目の前で次々に人が死んでいく。広島と長崎には原子爆弾が落ち、想像を絶する地獄が出現する。天皇が敗戦を認め、鬼畜米英と憎み、恐れた、アメリカ軍が乗り込んでくる。そういう苛烈な出来事が、息つく暇もなく、次から次へと襲いかかってくるのだ。
 このような状況にいて、それでもなお神の存在を信じられるとしたら、その人はよほど強い精神力の持ち主ではないだろうか。たいていの人は、神などというものは存在しないと、それは人間の弱さが作り出した幻想にすぎないと、心の底から思うのではないだろうか。
 
 首都が焼け野原になり、すべてを失ったところから這い上がっていくとき、神や魂のことを考えている暇はないだろう。聖書に出てくる神は、天からパンを降らせてくれたが、どんなに信心をしても、空中からご飯が現われるわけではない。物がないとはどういうことかを、骨身に染みて知っている、私達の親の世代は、物が豊かにあることこそが幸せなのだと信じた。それは当然のことだ。空腹のつらさを日々味わっていたら、おいしい物をお腹いっぱい食べられる暮らしは、夢のような生活に思えるだろう。
 
 物の豊かさを求めて、私達の親の世代は、高度経済成長の時代に突入する。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、クーラー、車……、今ではあるのが当たり前になっている、そうした品々を、私達の親の世代は、ひとつひとつ手に入れ、一歩ずつ、着実に、夢を実現してきたのだ。明日のご飯もままならなかった状態から、わずか20年足らずの間に、日本は、ほとんどの人が家電に囲まれた生活をするようになった。これは驚くべきことだ。この素晴らしい発展は、物とお金が人生に幸せをもたらすという、強い信念がなければ、実現しなかっただろう。
 
 神は何もしてくれないが、お金は幸福をもたらす……。
 
 技術のめざましい進歩は、科学は万能であるという、一種の信仰を生み出す。実際には科学のカの字もよくわかっていない人々が、「○○は科学的である」とか、「○○は科学的に証明された」とかいう言葉を聞くと、納得した顔をする。
 科学の何たるかを知っている、科学者のほうが、よほど謙虚なのではないだろうか。

 神は玉座を追われ、科学がその後釜に座った。
 
 科学は物質を扱う学問なので、物質ではない神や魂や心といったものは、脇へ除けられてしまった。もちろん、どのような宗教にしろ、篤い信仰を持ち続けている人はたくさんいる。しかし、信仰を持つことは、尊敬の対象とはならなくなった。真面目くさって神に祈りを捧げるのは、どこか野暮ったく、お金をかけてお洒落をし、おいしい物を食べ歩き、自由に恋愛をすることが、カッコいい生き方に見えたのである。

 魂は永遠であり、人は何度も生まれ変わるという考えは、迷信とされた。科学万能、物質中心の世の中では、魂というものの存在すら、疑わしいことになってしまう。
 e0172753_0175539.jpg肉体イコール自分自身なのだから、肉体が滅んだときは、自分も消滅する。自分が消える……。なんと恐ろしいことだろう! 私は幼い頃、「死んだら、自分は消える」という考えに取りつかれ、心底怯えた時期があった。死ぬことを考えると、いてもたってもいられないほど恐ろしくなり、必死になって、死を考えまいとしていた。

 父の魂を見て、死後も父は存在していることを知り、魂が永遠であることがわかったが、輪廻転生については、まったく信じていなかった。多くの人と同じように、生まれ変わり、輪廻転生は、迷信だと思っていた。一人の人間が、あるときは日本人になり、別の人生ではアメリカ人になり、中世に生まれたり、現代に生まれたりして、いくつもの人生を送るなどということは、どう考えても馬鹿げた作り話としか思えなかったのである。
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by fufu6k | 2009-03-01 00:35

隠されたもの Ⅱ

                   占いのホームページ SPACE・和



 20代半ば頃まで、私の頭の片隅には、常に、このような思いがこびりついていた。23、4歳の時に知り合った恋人が、老子、荘子といった東洋の思想家について造詣があり、彼の話を聞いているうちに、こういった東洋の哲学書を読みたくなった。
 
 このテの書物はやはり難解で、私の知力が不足していることもあり、言葉の迷路に迷いこんでゆくような、自分が本当に知りたいことから、少しずつ遠ざかってゆくような感じがあったが、ただ一行、強烈に目に飛び込んできた文章があった。

『死生は一条』
 それは荘子が書き残した言葉だった。
 
 一条とは、ひとすじという意味だ。死生はひとすじ。死と生は、一本の線として、連なっているもの……。
 私は目をまるくして、本の活字をまじまじとみつめた。勉強部屋の空間に、一本の線という形で現われた父の魂は、まさにこの言葉通りだったからだ。真ん中に生と死を分ける区切り目を持つ、一本の線。生の領域から死の領域へと、変わることなく続く父の魂。死と生は一条であると、父の魂は語っていた。
 
 高名な思想家の言葉と、自分が見た光景が一致していることで、私は、死んでも人間の魂は存在し続けるという自分の考えに、いよいよ確信を持った。「私は、正しかったのだ!」心の中でそう叫んでいた。
 
 荘子をきちんと理解していたわけではないが、人生をひとつの夢としてとらえているのが、荘子の思想なのではないかと、私は思った。生まれてから死ぬまでの何十年という人生は、長い長い夢の時間なのだ。私達は日々、さまざまな出来事にぶつかり、目をしっかり開けて現実と格闘しているつもりだが、実はそれは夢の中の出来事なのだ。では、いつ夢から醒めるのか。死んであの世に行った時、人は長い夢から醒め、本来の自分に戻るのだ。
 ?……!
 
 頭の中に大きな疑問符を浮かべながら、一方でこの考え方に奇妙な親しみを感じた。目に見える現実がすべてではない、その下に隠れている世界が、本来の世界。私のこの考えと、人生を夢とする荘子の考えには、通じるものがあるように思えた。
 
 仏教にも、これに似た考え方がある。来世を信じ、現世を仮の世とする考え方だ。現実は常に移り変わり、不確かで不安定なものだ。出会いがあれば、必ず別れがあり、幸福は長続きせず、肉体は老いて、死に至る。あの世にこそ、永遠の平安があると考えるのだ。
 
 シェークスピアも似たようなことを言っている。シェークスピアは、人生は劇場だと言う。人はそれぞれ、人生という舞台で“自分”という役を演じ、そして去っていくのだ。死を迎えて、舞台を下り、“役”ではない本来の自分に返るということなのだろう。
 
 隠されたもうひとつの世界から、私達はやって来て、“夢を見る”にしろ、“役を演じる”にしろ、物質という不確かなものに囲まれた“仮の世”で、何十年かの人生を送り、そして、もとの世界に帰っていく……。

 
 
 20代後半にさしかかる頃から、どういうわけか、私はこういうことをあまり考えなくなっていった。理由はまったくわからないが、真理を確かめたいという欲求はどんどん薄れ、父の魂を見たことすら、記憶のかなたに遠ざかっていった。
 
 恋人と一緒に暮らすようになったことで、生活が大きく変わったからかもしれない。母を裏切り、家を出、彼のもとに走り、その後母が急死し……と、激烈な出来事が続いたからかもしれない。

 人生は“夢”と呼ぶにはあまりにも強烈であり、自身が招いたこととはいえ、現実は過酷だった。自分の思いを、無理やりにでも貫き、幸福を手にしたが、代償も大きかった。
 
 私は“目に見える現実の世界”に没頭した。彼との愛に酔い痴れ、彼を失うことを恐れ、自分がきれいで色っぽいかどうかが、常に気になり、洋服やバッグをたくさん欲しがり、仕事や才能に関してコンプレックスを抱き、その他さまざまな欲望を募らせた。
 e0172753_23181060.jpg“隠された、もうひとつの世界”は、私の脳裏からどんどん消えていった。
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by fufu6k | 2009-02-27 02:28

隠されたもの Ⅰ

                      占いのホームページ SPACE・和


 
 オカルトという言葉を百科事典で調べると、「隠されたもの」という意味のラテン語の言葉が語源であると書いてある。事典によると、オカルトとは、「隠されたもの。目で見たり、手で触れて感じたりすることのできないもの」である。

 オカルトという言葉はまた、何か怪しげなもの、邪道と思われることを非難する時、しばしば使われた。
 常識に反する、新しい理論や、異端の宗教などを攻撃する時、オカルトという言葉を非難のレッテルのように使ったのである。そのためか、オカルトという言葉には、暗いイメージがつきまとう。不気味な心霊現象を扱った映画を、オカルト映画と言うが、この手の怖い映画も、オカルトという言葉のイメージダウンにひと役買っている。
 
 手で触れたり、目で見たりして、存在を確かめることができるのは、物体である。この世の現実は、物質、物体で構成されているから、すべて目で見、手で触って確認できる。
 しかし、オカルトという言葉が大昔から存在することでもわかるように、現実というのは、物質、物体だけて構成されているのではない。物質、物体ではないもので構成されている、もうひとつの世界がある。よく考えれば、心というものも、肉眼で見たり、体で触れたりすることのできないものである。長い人生の、すべての喜びと苦しみの源である、心というものは、隠されたもうひとつの世界、オカルトの世界に属しているとも言えるだろう。
 
 勉強部屋で父の魂を見てから、私は、目に見える現実がすべてではないと思うようになっていった。テーブルクロスをめくると、テーブルの板が現われるように、私達が普通に認識している現実というものの下に、本当の、本物の、“真実”が隠れているのだと思い込むようになった。
 目に見える現実とは、テーブルクロスのように薄っぺらいもので、その下に存在するもうひとつの世界こそ、はかり知れないスケールと重みを持ったもののように思えた。
 
 二十歳前の夢見がちな頭で、私はいろいろな想像をめぐらした。
 仮に自分の部屋から屋根を突き抜け、どんどん上へ昇っていったらどうなるだろう。まずはこの家の屋根が見え、それからこの町の密集した家々の屋根や道路を俯瞰し、さらに東京都を眼下に眺め、さらに上昇して日本列島や中国大陸や太平洋を見、どんどん昇って雲を突き抜け、ついに地球の外に出る。
 私は遥か下の青い地球を眺めながら、漆黒の宇宙空間に漂っている。そうなったら、物質で構成されている現実の下に隠れている、もうひとつの世界、揺るぎない真実を、あますところなく理解できるだろう……!
 
 そうなりたいと思った次の瞬間、これは死ぬことだと気付いた。広大な宇宙空間に漂うのは、私の肉体ではなく、魂なのだ。隠された、揺るぎない真実の世界を、あますところなくわかった時、私は仏になっている、と。
 
 宇宙空間に、奈良の大仏より大きい、巨大な仏様が浮かんでいる様を想像したこともある。菩薩だか、如来だかわからないが、とにかく仏像の姿をしたその仏様は、両性具有で、なんと男女の性器をそなえているのだ。
体の中に春の芽吹きのようなむらむらしたものを感じ、多分に色気づいていた当時の私は、その仏様が男性でも女性でもない、中性の存在と考えるのが、つまらなかったのである。中性の存在から、生命は生まれない。両性具有の巨大な仏は、自分で子作りのための営みをし、歓喜に浸りながら、ダイナミックに、おおらかに、新しい命を次々に誕生させるのだ。
 
目に見える現実の下に隠れている世界について、もっと知りたいと思ったが、どうしていいかわからなかった。真理の探究をするには、哲学か宗教に関する本を読むのがいいだろうとは思ったが、何故か手が出なかった。そういう種類の本は、文章が難解で、眠くなるのがオチだろうと思ったし、私は隠された世界について、知識を深めたり、論理的に理解したりしたいのではなかった。父の魂を見た時のように、その存在を理性だけではなく、感覚で納得したかったのだ。

隠された世界を、真に理解することができたら、もう死んでもいい……。本気で死んでもいいと思ったわけではないが、隠された世界を理解することは、私の人生の究極の目的のように思えた。
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by fufu6k | 2009-02-25 14:58

窓辺のフフ

                       占いのホームページ SPACE・和 


 
 フフは、私が墓地で、父に向かって瞑想をしていた時、光の流れに乗ってやって来た。
 フフの登場を、私はそんなふうに想像した。遊園地のウォータースライダーで遊んでいる子供のように、はしゃぎながら、笑いながら、ものすごいスピードで、フフは地上に降りてきた。

 しばらくの間、私はフフの存在に気付かなかった。
 そういえば、掃除機をかけたり、あれこれ考え事をしながら、部屋を歩き回ったりしている時、空中にごく小さな光を見ることはあったのだ。それは白く、時には青く、一瞬きらっと光って、消えてしまう。
 頭上にほのぼのと温かく、何かおかしなものがいて、そのものが自分を眺めているように感じたこともある。
 でも、そんなことは、すぐ忘れてしまう。私の日常は、占いや陶芸教室の仕事をしたり、陶器の製作に没頭したり、お金の計算をしたり、うまくいかない人間関係に頭を痛めたりすることで、大半が埋めつくされているからだ。

 夏が終わり、秋の虫の声が、家のまわりの草むらから聞こえ始めた頃、突然フフはその姿を現わした。秋の展示会に出品する作品の目途が立ったので、ホッとしてひとりでビールを飲んでいる時だった。開け放した窓から、虫の声とともに、草の香りが漂い、心地よい酔いに身を任せて、私は数分うとうとした。

 そして……。
 コトンというかすかな物音に目をあけると、窓辺に不思議なものがいた。

 雑然と並べてある陶芸作品の間に、足をブラブラさせながら、フフは腰かけていた。その時のフフは、身長が30センチくらいで、まるで人形作家が作った人形のようだった。しもぶくれのほっぺたは可愛かったが、バサバサの髪と細い目は、ちょっとシュールな感じがしたし、薄茶色の瞳は、どこを見ているのかわからない、謎めいた光を帯びていた。

「フフ」
 私の胸の中心から、声にならないささやきのようなものが聞こえてきた。そのささやきと同時に、フフはゆっくりと私のほうに顔を向け、かすかに首をかしげて、今度は前よりも焦点の定まった目で、じっと私をみつめた。 柔らかな薄茶色の瞳は、信じられないほどの強い力を持っていた。その瞳の前では、私の心はガラス張りも同然で、人に知られたくない弱点も、隠しておきたい汚さも、嘘もごまかしも、すべて見透かされていた。

 フフの瞳をみつめながら、同時に私は、自分の心をみつめていた。私の心の透明な部分、柔らかな、温かい部分、曖昧な濁った部分、どす黒い塊のような部分、それらがくっきりと映像のように見えていた。それはけっして嫌な感覚ではなかった。すがすがしいと言ってもいいくらいの冷静さで、私は自分の心を、あたかも別の生き物を見るかのように、眺めていた。

 自分の心の汚さ、醜さを見ても、苦しくならなかったのは、フフの瞳が愛にあふれていたからだと思う。澄み切ったその瞳は、可憐なその姿は、愛そのものだった。

 不思議な感動に包まれて、私は深く息を吸った。その呼吸とともに、フフはにっこり笑ったかと思うと、すうっと消えていった。e0172753_16514864.gif 
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by fufu6k | 2009-02-25 01:19

光の河

                      占いのホームページ SPACE・和


 
 焼けつくような陽射しの下、広い霊園の中で、道に迷った。何区画の何番という、お墓の住所(?)を記した紙をなくしてしまったので、うろ覚えの記憶を頼るしかなかった。
 前もって霊園事務所で確認すればよかったのだが、なあに、行けばわかるさ、という持ち前のおおざっぱさが災いして、私は汗だくになりながら、途方に暮れていた。

 すっかり嫌気がさし、もう墓参りなんかやめて帰ろうかと思い始めた時、道を一本間違えたことに気付いた。曲がるべき道を素通りして、その先の道を曲がったために、別の区画に来てしまったのだ。間違いに気付いた後は、ウチのお墓のある区画を探し当てるのに、たいして時間はかからなかった。
 お墓を洗ったり、花を生けるための水を汲んだりする水道がみつかり、たしかこの水道から数メートル先の右側、と目をやると、はたして、浦山の名を刻んだ、ピンクがかった御影石が、目に飛び込んできた。

 よかった……。
 心底、ホッとした。嬉しくなった。家に帰り着いたような安堵感があった。
 ピンクの墓石が、本当に、自分の家のように思えたのだ。墓石の奥は、私達家族の住まいで、父と母がそこにいる。
「パパ、ママ、ただいま」
 額の汗を拭いながら、私は家族の団欒に溶け込んでゆく。まるで食卓の用意をしているような気分で、私は墓石をていねいに洗い、花を生け、線香に火をつけた。

 道に迷い、迷子の心細さを味わったおかげで、お墓を家のように感じることができたのだ。時間を無駄にし、体力を消耗したが、道に迷ったことは正解だったかもしれない。今日の墓参は、いつもの墓参とは違う。子供の気持ちに戻って、父と母をありありと思い出すことは、これから始める、父にパワーを送るという仕事の導入部として、必要なことだったのだろう。

 遠くで蝉が鳴いていた。芝生は焼けつくようだった。活けられた花を眺め、ペットボトルのお茶を飲み、呼吸を整えて、私は瞑想に入った。

 初めは多少人目を気にしたが、暑いせいもあってか、そういう雑念はすぐ消えた。猛暑は、よけいなことに気を回すゆとりを、私から奪っていた。空のかなた、遥かかなたの虚空にいる父に、意識を集中する。
「パパに光を、パパに光を」
 心の中で何度もつぶやき、額から天に向かって、光が送り出される様をイメージした。

 黄色やオレンジ色や、白熱して白く輝く光の粒々が、天高く昇っていく。無数の光の粒子は、集まって川となり、流れはしだいに太く、強く、勢いを増していった。きらめく光の川は、やがて、こちらから向こうへ流れるだけでなく、天のかなたから私に向かう、もうひとつの流れを作り出した。双方向の流れを持つ、光の河。強いエネルギーの奔流に、私は圧倒され、体はじんじんと熱くなっていった……。

 そして、瞑想は終わった。体の内部で高まっていたエネルギーが、徐々に鎮まり、現実的な感覚が戻ってきた。強い陽射しにさらされていたジーンズの膝と太腿が、異様に熱くなっているのに気付いた。そろそろ引き上げなければ、熱中症になってしまう……。

 駅前の花屋で借りてきたバケツや柄杓、空のペットボトルなどを取りまとめ、もう一度お墓に向かって、「さよなら」とつぶやいた。父にパワーは届いただろうか。本当に父を助けることができただろうか。

 
 
 
 霊園の入り口に向かう並木道に、風が舞っていた。酷暑が少しおさまり、木々の梢が、涼しげに揺れていた。私の心も、涼やかだった。体の中心に、すがすがしい空気の通り道ができたように感じ、豊かに呼吸ができた。
 
 父に、光は届いた。天のかなた、広大な宇宙空間に存在する父を、はっきりと感じることができた。父と私は、今、一本の太い糸でつながっている。そう思えた。勉強部屋に現われた父の魂が、生死の境を越えて、悠然と存在し続けたように、あの世の父と、地上の私は、生死の境を越えて、ひとつに連なることができた。これからは、いつも父と一緒だ。父は私を見守り、助けてくれるだろう。そう思うと、深い安心感が心の隅々にまで満ちた。e0172753_1525497.gif
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by fufu6k | 2009-02-24 15:26

父の魂

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 高校1年か2年のとき、一度だけ、父の魂を見たことがある。見たと言っても、物体を見るように見たのではない。空中に現れた、イメージのようなもの、と言ったほうがいいかもしれない。しかし、それは決して空想ではない。イメージのようではあっても、私の心が作り出した空想の産物ではなく、確かにそこに存在していた。

 夜、自分の部屋で勉強していたときのことだ。何かの拍子にふと顔を上げたとき、父の魂が現われた。生前の父の姿が見えたのではない。勉強部屋にいきなり父の幽霊が出現したら、いくら父親でも、私は恐怖のあまり気を失ったかもしれない。

 父は、一本の線という形で現われた。空中に、水平に伸びる一本の線が浮かんでいた。真ん中に区切り目の印があった。区切り目の左側は生の領域で、右側は死の領域だ。父であるその線は、生の領域から区切り目を通過して、死の領域へ入り、さらにどこまでも真っ直ぐに変わることなく続いていた。

 その線が父だということは、すぐわかった。区切り目が、生と死の境であることも、当たり前のように、わかった。後で振り返って考えると、何故そういうことを一瞬で理解できたのか、不思議なのだが、私は、恐怖におびえることも、なつかしさで胸がいっぱいになることもなく、ごく冷静に、その線と区切り目の意味を受け止めていた。

 父は死に、肉体は滅んだが、線という形で表わされている父の核、父の実体は、生死に関わりなく、生死を超えて、変わらず、揺るぎなく、永遠に続いているのだ。人間とは、そういうものなのだ、と、私は思った。生と死は、表面の現象にすぎない。人間の核の部分は、生死を超えて、厳然と存在し続けるのだ、と。

 よく覚えていないのだが、目からウロコが落ちる思いだったのだろう。その後、授業で作文の宿題が出されたので、私はこの“大発見”について、意気込んで書いた。生と死は、表面の現象にすぎない、ということを、特に強調したように思う。
 だってそうでしょう、父は生きているときと同じように、死んでしまってからも、変わらず存在しているのだから! 父の核は、死という恐ろしいものの影響を、全く受けていないのだから! この“真実”を知れば、みんな死の恐怖から解放されるでしょう!

 私の幼い思考からひねり出された言葉は、私の発見と心情を、正確に伝えなかったようだ。亡き父について書くことで、可哀相だと思われたくないと、心のどこかで思っていた私は、ことさら乾いた、理屈っぽい言葉を並べ立てた。
 父が、死んでも消滅しておらず、堂々と存在し続けていることを知って、どれほど安堵しているかを、素直に言葉にできなかった。

 目を通されて戻ってきた原稿用紙の余白には、赤ペンで、かなり多い行数の、先生のコメントが書いてあった。生きることを大事にしなさい、死を厳粛に受け止めなさいという内容の、その文章の裏側に、突飛なことを書いて寄越した生徒への、先生の心配が見え隠れした。
 
 気遣われていることはわかったが、理解されなかったという落胆も大きかった。死んでも存在し続けるなどということは、そうたやすく理解してもらえることではない。「世の中、こんなもんさ」という思いで、私はこの一件を締めくくり、今後このことを人に話すのはやめようと心に決めた。e0172753_2014149.jpg

 
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by fufu6k | 2009-02-24 01:35

                       占いのホームページ SPACE・和 


 フフは、2年前に、光の流れに乗って、天から舞い降りてきた。8月の猛暑の午後、気温が40度に達し、空気が熱く揺らめき、整然と列を成す墓石が、皆一様に白く輝いて見えた。父と母が眠る霊園に、フフは舞い降りて来た。

 墓参りに行くのは、十数年ぶりだった。「お墓に霊はいない、お墓に行かなければ、肉親や祖先の霊に会えないというものではない、心をこめれば、自宅で祈っても、亡くなった人の魂に充分思いは通じる」
 私に精神世界を教えてくれた友人は、そう語った。その言葉を素直に受けとめて、というよりは、言い訳にして、両親の墓に詣でることを怠けていた。

 墓参りに行くことにしたのは、ある女性のチャネラーに、それを勧められたからだ。音楽家でもあるその女性は、私に占いをしてもらいに来た青年の知り合いで、その青年は私と話をしたあと、その女性と私を会わせたいと思ったのだそうだ。私とその女性がどんな話をするのか、興味があったらしい。
 
 その女性は、占いを希望していたので、いつものように占星術とタロットカードで占いをした。テーブルの上でカードを両手で混ぜているとき、カードが妙にふわふわと浮き上がるような感じがした。カードはテーブルの上をすべるように動き、そのうちの一枚は勢い余って床に落ちてしまった。

「困ったわ、カードがふわふわする」
「あっ、ごめんなさい。カードに気持ちを集中しないようにするわ」

 そう言って彼女は、体の向きを変え、カードから目をそらした。カードが浮き上がるように感じるのは、彼女が持っているパワーのせいだとわかった。

 占いが終わって雑談をしているうちに、私は自分のことを彼女の霊感で見てもらいたくなった。彼女は名前の文字を見ると、いろいろなことがわかるのだそうだ。漢字の字画で占う、いわゆる姓名判断ではなく、文字に触発されて霊感が動き出すのだ。

 紙に書いた私の名前をじっと見ながら、彼女は私が抱えている問題について、いくつかの核心をついたことを言った。その内容については、後日、触れることになるかもしれないが、この章の本題からそれるので、ここでは割愛する。話の最後に、彼女は私の亡くなった父について語った。

「お父さんは、成仏をしていないということではないのだけれど、自分の死に方について、納得のいかない思いをされているわ。その思いが引っ掛かりになって、パワーが落ちているというか、すっきりしない状態におられるの。お父さんのお墓参りに行きなさい。お父さんに光を与えなさい。それができるのは、ご家族の中で、あなただけなの」

 父が納得のいかない死に方をした、という言葉は、充分すぎるほど理解できた。
 父は、私が12歳のときに、他界した。私の両親は晩婚だったので、父は50代半ばで亡くなったのだが、仕事は充実し、やりたい仕事もまだまだあり、意気盛んだった。インフルエンザか何かに罹り、その数年前に肋膜炎を患ったこともあってか、こじらせて入院したのだが、私の記憶では、病院に入って数日で亡くなってしまった。「注射が原因で……」と、母と叔母が小声で話しているのを、耳にした。

「僕は残念だ」と言って、父は亡くなったそうだ。
男としてチャレンジしたい仕事があり、娘達の成長を見守りたく、母とののどかな老後も思い描いていただろう。絵に描いたような、幸福な家庭と、私の小学校の先生が評したことがあるそうだ。そういう家庭を築いていた父の人生は、一本の注射器で、あっけなく幕が下ろされてしまった。
 今なら、医療ミスを訴えることもできる。当時、患者側は泣き寝入りをするしかなかった。いや、現代でも、たとえ訴訟に勝ったとしても、死なされてしまった側は、泣き寝入りなのだ。賠償金を得ても、亡くなった人は生き返らない。医療ミスは、生命を奪うだけでなない。つつがなく人生を続けるはずだった本人の、夢と願望を奪うのだ。

チャネラーの女性は、私の前世についても触れた。私は前世でも、巫女のような、霊感を使う仕事をしていたそうだ。現世でも、霊感を使って、占いという仕事をしている。
「だから、お父さんに光を与えて、助けるのは、あなたなのよ」
 彼女はそう締めくくった。

「不思議ね。今朝、叔母と父の話をしてたんです。叔母が父の話をするなんて、滅多にないんですよ。パパは亡くなる間際に、ママと子供達をよろしく頼むって、私に言ったのよ、って。突然そんなことを言い出したんです」
「私が今日ここに来た本当の目的は、あなたにお父さんの力になるように言うことだったのね」
 彼女は微笑みながら、そう言った。e0172753_18571042.jpg 
              
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by fufu6k | 2009-02-23 19:08

フフ

                       占いのホームページ SPACE・和  



 天使が現われたのを実感したのは、あとにも先にも、あのときだけだ。
 バリ島から戻った私は、東京の街の煩雑で気ぜわしい渦に呑み込まれ、日常生活に流され、バリ島で味わった、素朴に神を受け入れる気持ちは、どこかへ消し飛んでしまった。これでは、天使が現われる余地はないだろう。
 
 その後、さまざまなことがあり、私は陶芸を志して、山梨に引越しをした。雄大な富士山を目の当たりにし、豊かな自然に触れながら暮らしている。
 
 富士山は霊山と言われるが、たしかに“神の山”なのかもしれない。富士山に登っているとき、不思議な、内面的な、体験をした。その体験を境に、自分がとても変わったと感じている。そのあと、“神”というものを本当に、ありありと、感じた瞬間も訪れた。その瞬間に得たことは、その後のものの考え方を、また変えた。そのことについては、いずれ書こうと思う。

 私はバリ島を訪れた頃よりずっと、あの世的なことについての理解を深め、神の存在を当然のことと思うようになっているのだが、天使はやって来ない。

 別に、天使にこだわっているわけではないのだが、心の奥のどこかで、あのときのように天使に守ってもらいたいと思っているのかもしれない。心細いとき、不安でいっぱいになっているとき、自分を守ってくれるものが、確かにいるのだと信じられたら、どんなにいいだろう。

 で、私は天使を作り出すことにした。むろん、これは一種の心の遊びだ。守ってくれるもの、導いてくれるもの、心を温かくしてくれるもの、私達を見ていてくれる、目に見えないそういう存在は、宇宙のどこかに必ずいるのだから、私が作り出した天使は、まったくの虚構とは言えないだろう。

 とはいえ、私の天使は、バリ島のホテルに現われた本物の天使に比べると、ずっとマンガチックで、メルヘンチックだ。これは、私という人間の子供っぽさと軽さの反映でしょう。馬鹿馬鹿しいと言えば、まったくその通りなので、あんまり真面目に読まないでください。

 私の天使は、小さい。背丈は2~3歳の子供くらい。髪はばさばさで、トウモロコシの穂先のような色をしている。顔はふっくらとしもぶくれで、色が白く、頬は健康的なピンク色。眉は細い三日月が垂れ下がったような感じで、目は小さく、目尻が下がっている。鼻は大きめでやや長く、唇は薄くて、いつも半開きのように見える。服は天使の定番である、白いふわっとしたワンピース。羽根はもちろんあるけれど、向こうが透けて見えるほど薄く、時には羽根がほとんど見えないこともある。

 天使に性はないのだが、私には、この天使はどちらかというと男の子に見える。名前を、フフという。フフのお気に入りの場所は、屋根のてっぺんだ。富士山の方を向き、家の守り神という風情で、フフは屋根の上にふんわりと立っている。
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by fufu6k | 2009-02-22 03:59

天使が来た!

                                          占いのホームページ 12の星座の性格
 

 
 今から十数年前、バリ島に二週間滞在していたとき、それは現われた。

 ホテルの玄関先や、寺の中庭などで、絶え間なく奏でられるガムランの音。熱せられた空気。町のあちこちにある、小さなお堂の前で焚かれる、線香の匂い。強烈な色彩を放つ、ややグロテスクなバリ絵画。そういうものに囲まれて過ごしているうちに、日本の、ふだんの暮らしの中で身につけている現実感覚や常識が、少しずつ薄れていった。

「神様を信じますか?」

 寺のお祭に行き、隣にいたインドネシア人にそう質問したときの、相手の反応が忘れられない。彼は目を瞠り、このような質問をすることじたいが、まったく馬鹿げている、あり得ないことだ、といわんばかりの表情で、こう言った。

「神様はいますよ。当たり前のことじゃないですか」

 そうなのだ。この土地の人々にとって、神様の存在は、足の下に地面があるのと同じくらい、当然のことなのだ。ごく自然に神の存在を信じている彼らが、日本人より幸せな人々に思えた。

 そういう信心深い空気に心地よく影響され、私の心はあの世的なものを素直に受け入れるようになっていたのだろう。

 ある晩、こわい夢を見た。バリ絵画に描かれている、極彩色の鬼のようなものが、私の亡くなった母親を、頭からばりばり食べているのだ。血だか臓物だかが、まわりに飛び散っていたような気がする。あまりの怖さに縮み上がっていると、突然、何ものかが私のベッドに舞い降りてきた。それは、そのときの私の感覚からすると、小柄な人間くらいの大きさで、体は引き締まって硬く、ヨーロッパの街にある天使の彫像のように、いかつい感じがした。背中には大きな翼が生えており、それは私の体の上にしばらくとどまっていたかと思うと、次の瞬間、ひらりと隣のベッドに飛び移っていった。隣のベッドには友人が寝ていた。

 これを夢と言い切ってしまうこともできる。母親を食べている鬼の夢の続きに、天使が出てきたのだ。この話をバリ島の人に話したら、天使があなたを守ってくれたのだと言うだろうし、日本人に話したら、天使の夢を見たのだと思うだろう。

 私がこれを夢だと思っているのなら、ここで文章にはしない。夢ではない、確かなものを感じたから、いまだにそのときのことをありありと覚えているのだ。
 大きな翼を持った天使が、あのとき、確かにやって来た。e0172753_9473818.gif
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by fufu6k | 2009-02-20 09:54